今回は現在公開中の映画【屋根裏のラジャー】を鑑賞してきたので感想を書いていきます。
まず率直な感想として「つまらないし嫌い」でした。
屋根裏のラジャーは、アニメーション会社スタジオポノックが制作した長編アニメーション映画の2作目。1作目は「メアリと魔女の花」で、こちらは私はまだ視聴していません。
このポノックは、ジブリが制作部門を解散し退社したアニメーター米林宏昌の新作映画を作る為に設立されたそうです。そして同様にジブリ出身のプロデューサーの西村義明さんが、今作のプロデュースと『脚本』を担当しているようです。
そんなポノックの理念は『世界中の子どもたちと、かつて子どもだったすべての大人たちへ』。
老若男女と心から楽しめるアニメーション映画製作を志すアニメーション映画会社として、世界の美しさを描き、物語を通して真実を語り、世界の1人1人に贈り届けるとしているようです。
そんなポノックは倒産の危機を迎えているという噂もありまして、そんななか繰り出された屋根裏のラジャー。この作品が会社の理念を踏襲しているかと言われると…
映像に関してはそれを非常に感じることが出来ました。
普通のアニメと異なり、影つけを全編に渡りエアブラシのような処理をしてグリグリと動かしています。これは確かに見ていて新しい表現だと思いましたし、全力で子供たちを楽しませてやろうという気概はとても感じました。
ただ、それを脚本や設定が非常に足を引っ張っていました。せっかくの美麗な映像に全く没入させてくれません。映像美への努力が報われないことに、画面を見ることすら苦痛になるほど辛くなりました。
まず、この作品のメインキャラクターですが、
主人公の少女アマンダと、そのイマジナリーフレンドのラジャー。
アマンダの母リジーと敵役のミスター・バンディング。
基本この4人を中心に物語を動かしていってました。
あらすじとしては、誰しも子供時代に想像するイマジナリーフレンドとの関わりと、大人になっていくことでそこから卒業していく成長の物語となっています。
………
いえ、なってません。
多分、成長の物語を書こうとしているんでしょうが、全くなってないです。これがこの作品の一番の問題だと思いました。設定もテーマも一貫してないしわかりづらい。
まずこのアマンダなのですが、父親が既に亡くなっておりシングルマザーのリジーとの摩擦がありました。アマンダがラジャーというイマジナリーを生み出したのも父親がいなくなったことへの寂しさから来るものだとなんとなく示唆されています。
そしてそのアマンダが密かに抱いていた意志がありまして、「お父さんを忘れない、お母さんを守る」ということ。これは冒頭で主人公が使用していた傘の内側に書かれており、結構重要なシーンとして描かれています。
が、この「お母さんを守る」がそれまでのアマンダの行動を見ても全くそう思えないんです。自分以外には見えないラジャーと遊んで、あまり周りを意に介さない。特に冒頭では母のリジーにそれとなく叱られるシーンがあります。しかも普段から注意されてるようですが全然直そうとしない雰囲気。
つまり、子どもなんです。子どもから大人へなろうとか、お母さんを守ろうとかって意思をまるで感じない。リジーに甘えっぱなし。そして現実を見ようとすることもなく、前半の展開で何か車に轢かれて終盤まで昏睡状態になってしまいます。
クライマックスでは昏睡から目覚め、敵のバンディングと対峙するわけですが、ここもまぁ別にアマンダとの成長とは全く関係ありません。
そしてそのままラストシーン、冒頭で見せたラジャーとの想像世界での『最後の』冒険に出掛けて終わりとなります。最後ということは、主人公は成長した、ということですね。
……なんなの?
どこに成長する要素あったの?
お前昏睡してただけじゃん?
そしてもう一人の主人公といっていいのが母親のリジー。リジーは旦那が経営していた本屋を閉めて就職活動をしたり、娘の面倒を見たりしているザ・大人という立ち位置です。
アマンダが語るラジャーのことも見えず、とりあえずアマンダの話に合わせてはくれるものの信じてはくれません。これが途中でアマンダと口論になるきっかけになるんですが、じゃあそれが結果どうなるかというと特別何もありません。
そんなリジーにも昔はイマジナリーフレンドがいたのですが、今はもう覚えていません。アマンダの祖母にあたるキャラクターが出てきて、リジーにもアマンダのように見えない友達がいるとはしゃいでいた時期があったと語ってくれます。
なので物語としては、アマンダの話すことも同じ目線で聞くなり話すなりする大人としての重要な役割があったと思うんですよね。
特に敵のバンディングは、いまだにイマジナリーフレンドを手放せずにいる子供のようなおじさんですから。リジーがどんと大人の立ち回りをして、それを見るなり関わっていくことでアマンダの成長を描くのが定石だと思います。
なのにこのリジー、クライマックスのバトルで急にラジャー含めイマジナリーの世界が見えるようになります。それはアマンダがリジーの昔のイマジナリーフレンドの名を口にし、アマンダの言葉が真実だとわかったからとも解釈できます。ですが、そのイマジナリーの世界に入り込めるようになったことで、リジーもバンディングのイマジナリー攻撃を受けピンチに陥ります。
……なんなの?
そもそもイマジナリー攻撃ってなに?
自分で書いててもうどういう展開なのかよくわからなくなってきました。
まずイマジナリーって自分の中の空想の世界なのになんで他の人にも見えるのか。バンティングは何者なのか(何百年も生きているようだけど正体とかの示唆は一切ない)。忘れられたイマジナリーフレンドが生き延びる世界に導くジンザンというのはどういう立ち位置のキャラなのか。
とにかくわかんないものが多すぎます。世界観のロジックが迷子過ぎて全く没入出来ない。
あともう一人の主要キャラとして、エミリというキャラがいます。こいつはイマジナリーランドで結構指示役をしたり重要な立ち回りのキャラだと思っていたんですが、中盤でバンディングにやられてあっさりと消えます。
このキャラクターは主要人物だとラジャーとしか関わっていなかったんですが、エミリが消えた後も特にラジャーの中に意思とかは残していきません。成長のきっかけにもならない。予告でも結構主役級の扱いだったのにこの意味のない扱われかた。
なんなの?
総括すると、とにかく展開のための展開が多すぎてキャラクターの心情とか成長が置き去りにされ過ぎです。会話も説明セリフばかりのわりに世界観がフワフワしすぎてただただ訳がわからなくなるばかりで、あまりにもお粗末すぎる。
ですがイマジナリーランド(図書館)という、イマジナリーフレンドが集まる世界の描写は良かったと思います。ここだけなら、3歳くらいの子どもが観るぶんには楽しめそうです。
そのイマジナリーたちが子供たちの新しいフレンドとして雇用されるというシステムは、トイストーリー4を思い出しました。というか世界観やテーマ的にはモンスターズ・インクとトイ・ストーリー3,4をごちゃまぜにしたような感じです。でもあくまで扱っている題材が頭の中の空想で実体がない為、思想などを受け継ぐという必然性に弱いのもこの作品の欠点のように思えます。
個人的に嫌いなのはそもそも、イマジナリーという空想の世界の描写。「こうすれば子供に受けるだろう?」という感じが透けて見えるというか浅はかというか。でもその割に頭の中での出来事だからスケールはとことん小さいし夢もない。そもそも成長すら描ききっていないし、どちらかというと母親の方から子供に退化していると思いかねない描写の甘さ。それら諸々が本当に嫌でした。
気になったところを挙げていったらキリがないです。
ただ他の方のレビューも見る限り、日本で純粋な子供向けのファンタジーを描こうとする姿勢がある貴重なスタジオなので頑張ってほしいという気持ちはあります。
脚本だけはとにかくちゃんと練り直して、次作に期待したいですね。
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