本の感想『私の財産告白』 著:本多静六

今回読んだ本はこちら『私の財産告白』。著者は本多静六さんです。

本多さんは慶應2年(明治より前の人ですね)生まれで昭和27年に86歳で他界されました。

何よりもこの方は「公園の父」と言われていまして、職業としては教師、林学者、造園家といったもの。また、著書でも書かれていましたが株式投資も行なっていました。

この方も若い頃はなかなか思い切りが良く、一度学校受験に失敗し自殺を図ろうとしたそうです。ただそこで死にきれず、ではもう一度死ぬ気でやろうと勉強し学校へ進学したというんですね。

そんな本多さんのモットーは「人生即努力、努力即幸福」。

著書を見るとわかりますが、散歩中でも目盛りを書いた杖を持ってその土地の計測?というのでしょうか、をしていたそうです。

そんな本多さんの財産告白という本が昨今注目を浴びているのは、その考え方や行動が現代にもよくマッチしているのが要因でしょう。本多さんは貯金を行なったうえで、当時新幹線の開通などで時価が上がりそうな土地を買い(不動産投資)、巨万の富を得ているのです。だからといって贅沢するというわけでもなく、常に質素倹約を心がけていたこともあります。

この著書では【4分の1貯金法】を一番推しています。

(貯金=通常収入×1/4+臨時収入*10/10)

月給そのほか月々決まった収入を1/4貯金し、賞与などの臨時収入は全て貯金に繰り込むというのです。

そして株式投資法としては【割利食い、十割益半分手放し】というやり方で押し通したと書いています。

二割利食いというのは先物株に限るが、買おうとした際に買受金を全部用意する。それが引き取り期限のくる前に買値の2割益が出たらきっぱり転売し、銀行預金に預けてそれ以上は決して欲を出さないというやり方。そして十割益半分手放しというのは、長い年月で株の価値が2倍以上に上昇した時に手持ちの半分を必ず売り放つ…つまり投資の元金だけを預金に戻して確保するということ。のこった株は全くタダなのでいかに暴落しても損のしようはないという考え方のようである。

…二割利食いというのは物によるかもしれませんが、債券などでも似たようなやり方は出来そうですね。十割益半分手放しというのも、個別株に手を出していた場合にはよくよく良いやり方だと思います。

ただ、こちらに関してはインデックスファンドの投資で自分は事足りると思うので、これに関してはあまり参考にしないようにします。

そして本田さんは、養老資金としてためていた海外株などがゼロに帰した失敗があると話しています。それは第二次世界大戦の日本の敗戦が原因です。

これに対しては多少悔やみもあるようですが、ここでこの著書で一番好きな考えがつづられます。

しかし、そうした大変動ばかり心配していては、何事にも手も足も出せない。したがって、投資戦に必ず勝利を収めようと思う人は、何時も、静かに景気の循環を洞察して、好景気時代には勤倹貯蓄を、不景気時代には思い切った投資を、時機を逸せず巧みに繰り返すよう私はおすすめする。

近い過去でも東日本大震災や新型コロナなどの荒波がありました。でも大変動ばかりを心配してはやはり良くないですよね。投資戦、というのは私にはまだ知恵がなくよくわかりませんが、勤倹貯蓄と思い切った投資の切り替えは頭に残しておきたいと思います。

これはなにより、86年間歩んできた人の言葉です。その間で日本は価値の上下をしてきたことでしょう。これからもそうです。この世界には波があるでしょう。それを静かに見極める必要はあると思いますね。

そしてこの方が繰り返し書いているもう一つの人生訓があります。

それは【職業の道楽化】です。

これはこの著書の第五章、平凡人の成功法で詳しく書かれています。

前述して、この本多さんは一度受験に失敗しています。その経験からか、自分を平凡人だと評価している。だからそんな平凡な自分が成功に導いた方法論を他の凡人も行なえばいいという考えがあるのでしょうね。

道楽化というのは言い換えて、芸術化、趣味化、娯楽化、スポーツ化など呼び換えてもいい。すべての人が各々その職業、仕事の全身全力を打ち込んでかかり日々の務めが面白くてたまらないというところまでくれば立派な職業の道楽化である、と書いています。

───ぶっちゃけこれについては単純な話ではないと思います。自分の好きな分野に就職したとしても、周りの環境や仕事の内容によってはこれの実現は非常に難しくなるでしょう。

ただここについては本多さんも少し言及していて、自分もつまらない仕事をしていたということを語っています。

本多さんは埼玉の百姓生まれで、米をつきながら独学をしていたそうです。その米をつく仕事が初めは非常に苦しくてしかたなかった。踏み台を踏んだばかりで、どれぐらい米をつけたかなと下へ降りて米を吹きふきすると、せっかくの摩擦熱が冷めてますます手間取ってしまったという。

そこで考えた末、かたわらの戸の桟の上にゆるく糸を張りその間に本を広げて読んだ。仕事自体は足を踏むだけの単調なものなので、本を読みながら足を踏むうちに米つきが出来る──そんなことをしている内に「米つきは静六に限る」と言われ米つき仕事は本多さんが専門となり、おかげで勉強の方もぐんぐん進んだという。

ここでの教訓は、つまらない仕事でも少し工夫をすれば面白く続けることが出来るということ。そして軍人など自由性があり、階級制の乏しい他業に従う人々には、より職業の道楽化が可能だろうと語っています。

この職業の道楽化について本多さんは「人生の最大幸福」とすら断言しています。確かに大人になって一番に時間を使うのは仕事でしょう。それを道楽化できるならば、それは確かに幸せなことでしょうね。

私は仕事でいつも悩みや迷いが生じます。その迷いや悩みを少しでも減らせるように今は勉強中です。いずれ仕事が楽しくなるようになるといいのですが…でも最近は、少なくとも辛苦は薄くなってきている気がします。

そして職業を道楽化する方法は「勉強に存する。努力また努力のほかはない」と語ってます。

これは前述した人生即努力、努力即幸福に通じますね。

これを八十年来押し通してきたという本多さんは次に「凡人者の天才者に対する必勝(とまではいかなくても)職業戦術がある。それは「仕事に追われないで仕事を追う」ことである。つまり天才が一時間かかってやるところを二時間やって追いつき、三時間やって追い越すことである」と言う。

これだけ聴くと「根性論かぁ…」とも思いますが次が個人的に印象的で、「明日の仕事を今日に、明後日の仕事を明日に、さらにすすんでは今日にも引き付けることである」というのです。

シンプルですが、なるほどと思いました。目の前の仕事にのみ追われるのは確かに近視眼的にもなりますが、このやり方であれば仕事もそうですが少し視野を広げて物事を見るようにもなる。この考え方と習慣はぜひ身に着けたいものですね。

と、ここまで書いていましたが、著書では同時に、一つのことに打ち込みすぎることへの戒めもされています。

それは恐るべき被害妄想という章です。

一度何かに失敗した人は、あるいは反対にある程度の成功を収めて小成に安んじようとする人は、自ら求めて一種の被害妄想にかかるものが多い」というのです。

…これ、仕事ではないですが、プライベート特に異性関係に関しては本当に耳が痛い言説です。私、もう異性には相手にされない人生だろうと、これまでの恋愛の失敗もあり自分に言い聞かせています。別に無差別に異性を責めるそれではないですが、被害妄想も甚だしいでしょう。

「そしてこれが悪化すると、精神病にまで発展するという。失敗の原因が自己以外にあり、時勢の変化や世間の奴ら、それらに傷つけられた…もっとひどく傷つけられそうだと勝手に決め込んでしまいがちだ。そうした人々は自分勝手に悲観し、絶望し、針小棒大にその不幸を吹聴し、ついには他人にもそう思わせようと躍起になる。」

……マジでこの辺りは耳が痛いです。ちょっと前の私は少なからずこういうところがあった気がします。

それを踏まえ、この世界は持ちつ持たれつ、ともに手を取り合っていかねばならぬ自覚が必要と書いています。

物事を成すには、とにかく一本に打ち込むことが大切だ。しかし熱心もよろしいが、あまりに執着しすぎると判断力も鈍り、考えも偏り、とんだ妄想に陥りやすい。仕事の能率もはなはだしく低下してくる。だから私は一仕事終わったらその結果がどうあろうと、まずそれをキレイに忘れること。少なくとも忘れるように気分転換に努めることを皆さんにおすすめする

これもそうですね。私はよく過去の失敗をぐるぐると頭で考える癖があるので、気分転換は上手くやっていきたいものです。

この他にも具体的な本多さんの仕事上での苦難や教訓も書かれています。凄く面白いので興味があれば直に読んでほしいですね。ちょっと記事が長くなってきたので、今回はこの辺で終わりにしたいと思います。

貯蓄の考え方や仕事、人生への考え方と書かれていて非常に面白かったです。私にとっても良い刺激になる良書でした。

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