この2003年版鋼の錬金術師は、当時小学5年生頃に放送されていたのを覚えている。
当時はまだまだコロコロコミックの読者で、他だとドラゴンボール、ワンピース、幽遊白書くらいしか少年漫画を見た記憶はない。その中での青年向けのような作風は、当時衝撃を受けた記憶がある。
改めて見てみると、ビジュアルのキャッチーさもそうだがエドが思ったより子供っぽく、他の土6と比べてもより感情移入して見ていたかもしれない。
そしてこの作品、私の兄姉と一緒にハマった唯一の作品で、当時険悪だった仲だったもののハガレンを流すときだけは一緒にテレビを見ていた。兄については当時DVDを買ってPS2で再生し、それをまた兄弟で見返していたものだ。
私にとってはある意味で記念碑的作品なのだけど、あまり思い出の中で美化させ過ぎるのも悪いと思ったので、今の視点で見返してみた。色々発見があり面白かったのでここに書いていこうと思う。
1.構成
2003年版ハガレンは途中から完全なオリジナル展開に移行し、そのオリジナルのまま完結したことで有名な作品だ。放送当時原作は単行本5,6巻くらいが刊行されたくらいの進捗で、それを1年間の放送のアニメとなるとどうにか工夫しなきゃいけないのは仕方がない。詳しくは調べれば出ると思うのでここでは省く。
構成としては、
1クール目はエルリック兄弟の目的と始まり。そして国家錬金術師資格取得の経緯と賢者の石を探すための旅を描く。
2クール目はアメストリス軍と賢者の石、イジュヴァールに伴うスカーの掘り下げが進む。ホムンクルスが直接物語に絡んでくるのもこのあたりからだった。
3クール目はエドの師匠が登場するくだりまで原作に沿うが、ここから本格的にオリジナル展開に進む。ホムンクルスの謎、その正体と人体錬成を行なったものたちの罪が形となって襲いかかるというディーブな話に発展していく。
4クール目は3クール目までで描いた罪への決着、メインキャラ各々の思いと帰結を描いていった。
2.欠点
最初に気になった点をいうと、盛り上がりに向けた繋ぎの話、展開が印象に残りにくいということ。目立っていたのは3クール目前半。憤怒のラースというホムンクルスが最初正体不明で出てきて師匠が匿うという展開だった。しかしもう視聴者の誰もが「こいつホムンクルスだな」「師匠の死んだ子供なんだな」というのがわかる内容だったのに、これをしっかりエドたちが認識し展開がすすむまで3話くらいかかった。尺が余ったのかもしれないが、ここはかなり冗長に感じてしまった。
あとは自分なりに考えてみたが、かなりせわしなくキャラクター達が場所を移動しているからな気がする。1クール目は旅をしている側面が強いが、しかし1話に1つの街で完結していたので覚えやすかった。しかし実際オリジナルに入る3クール目以降は、色んなキャラが別方向に動くうえに、場合によっては1話内で場所を移動し過ぎている。内容自体は思い出せるが時系列まで上手く整理できる自信がない。3クール目後半のリオール編は凄く印象に残る作りになっていたが、そこに行き着くまでの展開が微妙なのは惜しい点だった。まぁロードムービー感のあるのが旧ハガレンのいいところでもあるのだけど…
そして一番気になったのがアルフォンス・エルリックについて。旧アニメでは完全に舞台装置になりさがっている。原作ではエド以上に男気がありかなり格好良く描かれているが、今作では自信がなく流されやすい性格だ。しかも不殺を他人に強要するわりに、それをきっかけにしてその人をピンチに落とし入れている。一番酷いと思ったのは兄弟が人体錬成した母親のホムンクルスのとき。エドが母の墓を掘って持ってきた遺骸を使いスロウスを無力化したのだが、アルは「なんてことするんだ!」とその遺骸を遠くにぶん投げてしまう。それがきっかけでアル自身がピンチに陥り、ラストがラースにやられることになった。
旧アニメではエドが辛気臭く、一人で背負い込もうとする悪癖がある。そのため、弟のアルにすら相談をあまりしない。独走するあまりアルが不安も不満も募らせ、アルも一人で突っ走りピンチに陥る展開が何度かあった。単純にみていてストレスだし、原作と性格が違うにしてももう少しなんとかできなかったんか…と思わざるを得ない。ここは明確に旧アニメの残念な点だと思う。
だがエドに主軸を置いてる点は全くブレずに描いているのが好印象だった。原作は群像劇の面もあったが、この描き方のおかげで「もう一つのハガレン」として見れると思う。ただ上記したように、エドは原作に比べてかなり辛気臭い。それに合わせて作風もどんよりとした雰囲気で進行していく。ここが旧アニメの好き嫌いが分かれるところだろう。
3.長所
旧アニメの良いところは、なんといってもテーマを明確に描いているところだと思う。
ホムンクルスを人体錬成の産物にすることで罪を敵という形にするのはよく出来た設定だ。また等価交換についてもよく書いている。アニメ冒頭でも「それが世界の真実だと信じていた」というように、最終的に等価交換は否定される。ラスボスのダンテが世界の不条理、等価交換という真理の否定をこれでもかと展開してきた。それでもエドたちは冒険の果てに、「努力したら、代わりに何かを得られると信じたい」という考えに行き着く。真理ではなく、もっと身近な個人の思想と兄弟の約束という小さな形でまとめられたのは、個人的に好きだった。
もう一つあげるとスカーの扱いだ。旧アニメではスカーが弟であることにスポットが当たっている。描写を見る限り、スカーはエドを殺されたアルフォンスのアナザーという扱いだった。その影響もありアルとは微妙に距離感の近いポジションになっているのが面白い。兄を殺された復讐者として暴れたスカーが、弟であるアルを救うために(手段を選ぶ暇はなかったので)賢者の石に錬成する展開はかなりよく出来ていた。原作よりも若いキャラクターに造形されており、その分迷いながらも突き進んでいく姿はもうひとりの主人公といっても過言ではないだろう。
また、マスタング大佐の描写も印象的だった。原作でも復讐に燃えてエンヴィーを殺す手前までいったが、上を目指すという野望のために殺しを思いとどまる展開だった。しかし今作では完全に復讐に手を染めている。エドもそれを止めることはなく「上にあがれなくなるぞ」と確認するだけ。「惜しくはない」「私は自分の愚かさが許せないだけだ。死んでいった友に報いるには、これしかない」と大総統キング・ブラッドレイに挑む姿は、原作のアナザーとして楽しめる。
というかマスタングこそもう一人の主人公として扱われている。願いを叶える為に突き進むエドに自分を重ねており、マスタングが直属の上司である間はほぼ好きなように動かしていたほどだ。それを見ていたヒューズが、マスタングはエルリック兄弟のことになると冷静な判断が出来ないと感じ、兄弟のことについて詳細なことはマスタングに伝えなかったという展開になっている。これのせいでヒューズがマスタングになんのヒントも与えられず死んでしまったのも悲痛なところだ。
2クール目の展開は、ヒューズという大人の立場がエドという子供を影で見守る、支えるというのも大きな主軸になっている。そのエドと同様、マスタングもヒューズに支えられていたという構成になっているので、よりW主人公として扱っていたように感じる。ヒューズの出番も原作より増えており、活躍から退場までのくだりは原作より好きな部分だった。
4.個人的な感想
やっぱりキャラデザが好き!好きなのぉ!伊藤嘉之さんの書くハガレンキャラがカッコよくてねぇ…同じく作画監督をしている「はじめの一歩-Chanpion Road-」(2003年放送)も見ていて興奮する。「口の書き方とか筋肉の描き方、体の厚みがそれっぽい!」と…。
他のキャラデザ作品だとSTAR DRIVERとかあるのだが、あれはまたニュアンスが違うので、伊藤嘉之さんならなんでも好き!というわけでもない…本当、旧アニメのデザインが凄く好きなんですね。特に作画的にもリミッター解除されたシャンバラへ征く者は最高。
ちょっと偏愛が過ぎるので客観的に見られなくなる旧ハガレン。なので基本的には「個人的にビジュアルが好きな作品」として列挙するようにしている(他だと傷物語、キャシャーンSinsとかかな)。
でもちゃんと欠点も長所も今の目線で見られたのでよかった。明らかに悪いところもあるんだけど、これで「好きです。今度は嘘じゃないっすよ」と言えるってもんだ。
また時間が空いたら見返してみよう。ついでに、二期のハガレンもちょいちょい見てみようかな…当時はそれこそ一期に引っ張られて冷静な視点で見られなかったから。
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